最高裁判所第一小法廷 昭和58年(あ)1112号 判決 1985年12月19日
主文
原判決及び第一審判決を破棄する。
被告人は無罪。
理由
弁護人阿波弘夫、同恵木尚の上告趣意は、憲法三八条三項違反をいう点を含め、その実質は単なる法令違反、事実誤認の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。
しかしながら、所論にかんがみ職権で調査すると、原判決及び第一審判決は、以下に述べる理由により同法四一一条三号によって破棄を免れない。
一 本件起訴状記載の公訴事実の要旨は、「被告人は、暴力団合田一家傘下N組組長Nの舎弟分にあたる者であるが、同組組員Xと共謀の上、かねて対立していた暴力団幸心会首領Hを殺害することを企て、昭和五二年四月二五日、岩国市内の路上において、Xが所携のけん銃でHの下腹部、腰背部を射撃し、その場で同人を即死させて殺害した。」というものであり、第一審判決は、これにそう殺人の共謀共同正犯の事実を認定し、被告人を懲役一二年(未決勾留日数一五〇〇日算入)に処した。
これに対し、被告人から控訴の申立があり、原判決は、被告人について殺人の共謀を認定した第一審判決は事実を誤認したものであるとしてこれを破棄し、原審において、予備的に追加された訴因に基づき、「被告人は、XがHをけん銃で射撃して殺害した当日、その情を知りながら、これに先立ち、広島市内の喫茶店『かなりや』において、Xが犯行現場に赴くために使用するレンタカーの借賃等として、同人に現金五万円を交付し、同人の右犯行を容易ならしめて、これを幇助した。」旨の殺人幇助の事実を認定し、被告人を懲役一年六月(第一審における未決勾留日数中、右刑期に満つるまでの分を本刑に算入)に処した。
本件第一、二審における審理の争点は、被告人とXとの間の共謀の成否にあった。しかし、原裁判所がいったん終結した弁論を再開した上、検察官に対し訴因の変更を命じ、検察官が殺人幇助の予備的訴因を追加したことにより、本件における事実認定の重点は、もっぱら幇助の成否の争いに移行することになった。上告論旨も、被告人について殺人幇助の事実を認定した原判決の判断を論難しているのである。
二 被告人は、捜査、公判を通じ、一貫して本位的訴因、予備的訴因にかかる事実を否認しており、右の事実を直接立証するための決め手となる証拠としては、Xの検察官に対する供述調書謄本五通(以下、X検面調書という)があるのみといってよく、原判決もまたその趣旨を説示している。
第一審判決は、X検面調書の信用性を全面的に肯定し、被告人を、Xの背後にいて同人にHの殺害を指示した者と認定した。X検面調書の供述の骨子は、以下<1>ないし<5>のとおりである。
<1> 殺人指示及びけん銃交付の事実
昭和五二年四月七日、被告人が、当時Xの起居していた徳山市内のD子方に赴き、Xに対し、「これは言いにくいことじゃが、今度お前がHをやることになった。道具はこれじゃ。」といって、実弾入りけん銃一丁を交付した。
<2> キャバレー「るりかけす」下見の事実
同年四月一四日、被告人とXは、Hがよく飲みに行くという岩国市内のキャバレー「るりかけす」の下見をした。
<3> 幸心会事務所下見の事実
同年四月一六日ころ、被告人の誘いにより、同人とXの両名が岩国市に赴き、岩国駅前からタクシーに乗車し、被告人の案内でタクシーをゆっくり走らせながら、美ノ越ビル内の幸心会事務所を下見した。
<4> 電話連絡の事実
同年四月二〇日ころ、Xは、自分がまだH殺害を実行していないので被告人が心配しているのではないかと思い、同人に電話して、「自分は誕生日が過ぎたら絶対にHをやるから心配しないように。」「自分はレンタカーを借りて、幸心会事務所の近くでHを待ち受け、同人の顔を確かめてからやろうと思っている。」と話した。
<5> 五万円交付の事実
H殺害の実行を決意したXは、同年四月二四日、広島市に赴き、同市のホテルT野に偽名を用いて宿泊し、翌二五日の朝、被告人に電話して、レンタカーの借賃を都合してくれるよう頼むとともに、知人のFにも電話して、レンタカーの借り受け方を依頼した後、タクシーで同市《住所略》丙山ビルの被告人宅に赴き、近くの喫茶店「かなりや」で、被告人に対し、これから岩国市に行ってHを殺害すると話したところ、被告人は、「それじゃ頼むぞ。これはレンタカー代だ。」といって、その場で現金五万円を渡してくれた。その後、Xは、被告人宅へタクシーを呼んでもらい、広島市《番地略》のF方に赴き、同人の運転する自動車に同乗して、同市横川のジャパレン広島営業所に行き、Fがレンタカー一台を借り受けた。
三 ところで、原判決がX検面調書の信用性について説示するところは、おおよそ、次のとおりである。
1 被告人は合田一家の組員ではないが、同一家と深い繋がりを持つ人物である上、かねてXとも親交のあったことからみて、被告人がXに対し合田一家幹部の意向を伝え、けん銃を交付し、犯行を容易ならしめるため下見などの援助行為に出たとしてもさほど不自然ではなく、X検面調書の供述記載を全く虚偽のものであると断定することはできないけれども、(イ) Xは、昭和五二年四月七日以前からけん銃を所持していた疑いがあること、(ロ) 暴力団合田一家及びその傘下のN組と暴力団幸心会は対立抗争しており、N組の組長Nと幸心会の首領Hは、かねて互いに相手を抹殺すると公言していたところ、Xの直属の親分であるNは、同年三月二〇日ころから同年四月八日ころにかけて、Gに対し、「Hをやるため若い士を岩国に送り込むので部屋を捜してほしい。」と依頼し、Gが部屋を借りた後である四月一〇日ころ、同人にXを引き合わせている事実に徴すると、Xは被告人からH殺害を指示されたという同月七日以前、既に合田一家及びN組の組織上部の者からH殺害の指示を受けていた疑いがあること、(ハ) Xは、Gから岩国市内に潜伏場所の提供を受けた際、約一週間以内の間に、Gの運転する自動車に同乗して、Hの自宅と幸心会事務所を下見していることが認められるのに対し、X検面調書にある、これとほぼ同じころXと被告人の両名が行ったというキャバレー「るりかけす」や幸心会事務所の下見の事実については、これを裏付ける証拠がないこと、(ニ) X検面調書には、Gによる潜伏場所の提供や同人と共に行った下見の事実が一切述べられていないことなどの点を総合して考えると、Xはその所属する組織上部の者に責任が及ぶことを恐れて、殺人指示及びけん銃交付、幸心会事務所等の下見に関し、被告人の名前を出したのではないかとの疑いも残り、X検面調書のうち、前引用にかかる<1>ないし<3>に関する部分については、その内容に合理的な疑いをさし挟む余地があり、これを全面的に措信することはできない。
2 しかし、X検面調書は、その一部に合理的な疑いをさし挟む余地があるとはいえ、その供述記載を全て虚偽のものであるとして排斥しうるものではなく、被告人がXに対し積極的に殺人を指示してけん銃を交付し、幸心会事務所等の下見をさせる行為と、被告人がXの求めに応じて犯行場所に赴くためのレンタカー借賃を交付する行為は、もともと別異の側面に属するものであり、被告人と合田一家及びXとの親密な関係、さらには、Xが昭和五二年四月一〇日ころ、Nから引き合わされたGと共に岩国市内の潜伏場所に赴いた際、被告人も別の自動車で同行していたとみられることなどの事実に徴すれば、被告人が事前にXの犯行を知り、かつ同人の求めに応じて岩国市へ赴くためのレンタカー借賃等を交付することに、なんら不自然、不合理なところは存しないばかりか、「五万円交付の事実」に関する供述部分については、これに符合する事実を認定しうる証拠があり、X検面調書のうち、前引用にかかる<4>の「電話連絡の事実」中、犯行にレンタカーを用いることを相談したという部分及び<5>の「五万円交付の事実」に関する部分は十分措信しうる。
四 しかしながら、原判決の右説示は、X検面調書のうち、前引用にかかる<1>ないし<3>に関する部分を措信しえないとした限りにおいて、証拠に照らし是認しうるが、その余の認定、判断部分は、以下に述べる理由によりとうてい首肯しがたい。
1 X検面調書の内容は、すでにみたように、被告人がXにHの殺害を指示してけん銃を交付し、その犯行を容易ならしめるため、Xと共に犯行現場の下見をし、一方、Xは自己に犯行を指示した被告人に対し、Hを殺害するについてレンタカーを用いる心積もりである旨その計画を明かして、自らの決意が固いことを報告し、被告人はXの求めに応じて同人にレンタカーの借賃を交付するという経過をたどっているのであり、全体として、H殺害の指示に始まる一連の相関連する一個の事態の推移に関するものである。従って、X検面調書のうち、被告人からHの殺害を指示されたという、被告人とH殺害を結びつける供述の中核をなす部分の信用性に合理的な疑いがあるというのであれば、特段の事情のない限り、これと密接に関連する爾余の供述の信用性にも重大な疑惑の生ずることは明らかである(原判決がX検面調書の一部を信用できない理由としてあげる諸点は、むしろXに対しH殺害を指示した者は合田一家の幹部であり、Xは、その者に累を及ぼさないよう、被告人を背後者に仕立て上げる供述をした疑いを抱かせるものといいうる。)。
2 ところで、原判決は、被告人がいかなる経緯でXの犯行決意を知ったのかについて特に触れることなく、本件では、被告人が、事前にXの犯行決意を知り、かつ、レンタカーを使用することを知ったうえで、同人の求めに応じてレンタカー借賃を交付した事実を裏付ける間接事実があるとの判断を示しているが、その説示するところは、以下(一)ないし(三)に示すとおり納得しがたい。
(一) まず、原判決は、被告人がXの犯行決意を知っていたことを裏付ける間接事実として、被告人と合田一家及びXとの関係をあげている。その理由として原判決のあげる事実関係は、おおむね次のとおりである。
被告人の実父Y1は、かつて徳山市で博徒Y1組を結成していた。その当時、合田一家総長のAはY1の配下であり、昭和二九年ころ、Y1が死亡した後、AはY1宅に事務所を置いてA組を結成した。このような関係があるため、被告人は、Aが二代目合田組総長の地位についた後も、A組事務所に気安く出入りし、またAの直系の配下であるNのことを兄貴と呼び交際を続けていた。しかし、被告人は合田一家の組員になったことはない。
他方、被告人は、昭和四八年ころ、Xと知り合い、以後、両名は消火設備、配管等の事業を共同で経営したこともあったところ、昭和五一年一〇月ころ、被告人はかねて知己の間柄にあったA組組員が広島刑務所から出所する際、Xを連れてこれを出迎えに行き、その際、XをNに紹介したところ、それが切っかけとなり、XはNと交際するようになって、同年一二月その配下となった。
しかし、右の原判決認定事実は、被告人と合田一家との繋がりがもっぱら被告人とA総長との縁故によるものであり、またXとの交際も合田一家の組活動とは関係がないむしろ個人的な色彩の濃厚な関係にあったことを示しているものとみるべきであろう。従って、これをもって被告人が合田一家の組織の中で、組織上の機密に属するH殺害計画に加わるとか、積極的にその計画に加担するような立場にあったとは考えにくい。特に、H殺害は、対立抗争中の暴力団の一方が他方の首領の殺害を企図した計画的な犯行であり、Xの直属の親分であるNがその背後にあってXの犯行を容易ならしめるため、潜伏場所を手配するという行動に出ていることを考慮すると、被告人の知情を推認するための間接事実として、被告人と合田一家との繋がりやXとの交友関係をあげることだけでは、とうてい十分な理由とはいえない。
(二) 次に、原判決は、Xが昭和五二年四月一〇日ころ、Gの案内で岩国市内の潜伏場所に赴いた際、被告人も別の自動車でXに同行したとして、これを被告人がXの犯行決意を知っていたことを裏付ける間接事実としてあげている。
しかしながら、被告人の第一審公判供述、Gの司法警察員に対する昭和五二年一一月二五日付、昭和五三年三月二八日付各供述調書によると、昭和五二年四月一〇日ころ、GはNの指示により徳山競艇場でXと待ち合わせ、同人を連れて岩国市内の潜伏場所まで赴くことになったこと、一方、被告人は、これとは関係なく同日自動車で徳山市から広島市へ赴くことになっていたところ、Xから、徳山競艇場で人と会う約束となっているので、同所まで同乗させてほしいと依頼されこれに応じたこと、Xは同所でGと落ち合い、今度は同人の運転する自動車に同乗し、岩国市へ向け出発し、被告人の乗った自動車がこれに続き、しばらくこれに追従していたが、下松市付近に差しかかって後、両車は別行動をとり、それぞれの目的地に向かったこと、しかも、Gと被告人は当時面識がなく、右両名が互いに名前を知ったのは、GがXに潜伏場所を提供し同人のH殺害の犯行を容易ならしめたという殺人幇助の嫌疑で逮捕された後であることが認められ、これと抵触する証拠はない。また、原判決も認定するように、Xは、Gの手配で岩国市内に潜伏場所の提供を受けてから一週間位たった同年四月中旬ころ、Gの案内でHの自宅や幸心会事務所の下見を行っているのに、被告人がその事実を知っていたと認むべき証拠もない。
このように、本件において、XがGの案内で岩国市内の潜伏場所へ赴くに際し、被告人がこれに同行したと認定するに足りる証拠はなく、原判決のこの点に関する説示は首肯しがたい。
(三) さらに、原判決は、X検面調書のうち「五万円交付の事実」に関する供述記載部物についてはこれに符合する事実を認定しうる証拠があり、これが、被告人の知情を裏付ける根拠となるとしている。
原判決の認定、判断のうち、被告人が同認定の日時、場所において、Xに対し現金五万円を交付したとの部分は、挙示の証拠関係に照らし是認できないわけではない。しかし、原判示に示す現金交付の事実が認められるからといって、そのことが直ちに、右現金交付の趣旨までをも裏付けるものでないことは明らかであり、原判決の指摘する点は、被告人の知情を推認すべき根拠として決して十分なものではない。
3 このようにみると、原判決が、X検面調書の一部を措信しうる理由として挙示する点は、全体として論拠が薄弱であり、支持しがたいというほかない。
五 以上に説示したとおり、本件において、被告人に対し殺人ないしは殺人幇助の事実を認定するための直接証拠であるX検面調書の証拠価値には多くの疑問がある上、原判決がX検面調書の一部について、信用性を裏付けるに足りるとして挙示する間接事実についてみても、すでに検討したとおり、証拠の証明力に対する評価及び証拠に基づく推理判断の過程になお多くの疑問が残る。
原判決の説示するところは、本位的訴因である殺人の事実について犯罪の証明がないとした限りにおいてその認定は正当と認められるが、予備的訴因である殺人幇助の事実を認定する推断の過程には、合理性を欠き是認しがたいものがあるといわざるをえない。
六 従って、被告人について殺人罪の成立を認めた第一審判決及び殺人幇助罪の成立を認めた原判決はそれぞれ証拠の価値判断を誤り、ひいて重大な事実誤認をした疑いが顕著であって、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであり、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。
記録並びに第一審裁判所及び原裁判所が取調べた証拠を仔細に検討してみても、本件公訴事実については、これを認定するに足りる証拠があるとはいえないので、被告人に対し無罪の言渡しをすべきものである。
よって、刑訴法四一一条三号、四一三条但書により原判決及び第一審判決を破棄して、被告事件について、さらに判決することとし、同法四一四条、四〇四条、三三六条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 角田禮次郎 裁判官 谷口正孝 裁判官 和田誠一 裁判官 高島益郎)